「漆黒の深淵に佇んで・・・。」

投稿者:野埜原 走さん


幾多の栄光と名クライマーを育んだ
谷川烏帽子沢奥壁を登るのは長年の憧れにも似た
夢であった。
特に最近、JCC40年史誌を得て、
古川純一氏、小森康行氏が巻頭に登場する変形チムニー、
中央カンテを登りたいなどと具体的に思い込む様になった。
初登者達と同じ景色を眺め、同じ岩にホールドを求める。
なにか時間がそこだけ昔のままであるようであり、
昔と同じ空気を呼吸するなどと
唐突な思いが突上げてくるのである。

しかし、40の手習いで岩登りを始めた私には
技術も体力も、そしてなにより気力もなくなっていたのである。
そんな時、勝野氏に出会い今回の登攀の
機会を得たのは天の思し召しだろうと思うほど
不思議な巡り合わせであった。

涼感な空気を引き裂くように
白み始めた一ノ倉沢の出会いへ
勝野氏が到着したのは、待ち合わせ時刻ちょうどの
5時半であった。
私は前夜から出会いに一人幕営していた。
「おはようございます」。車から飛出した氏の
精悍な姿とは2ヶ月半ぶりの再開であった。
多忙の中に時間を作ってわざわざ来てくれる
優しさがその笑顔からこぼれてきた。

コーヒーで簡単な食事の後、2人で出会いを出発する。
既に何組かのパーティーが甲虫のようにテールリッジに
這い上がろうとしているのが眼前を見上げて確認できる。
時間は6時10分になろうとしていた。

雪が多かった今年も、さすがにこの時期になると
出会い付近の沢筋は、それぞれみごとなゴルジュを見せて、
まるで生命の鼓動のような沢音を聞かせてくれる。
雪渓が現れ始めるのは一の沢辺りからで
ここから夏の緑色に揺れる木々の夏道を外れて、
雪渓上をひたすら歩くことになる。
雪渓上のアプローチは、はるかに夏道より
歩きやすいのではあるが、
それにしても勝野氏の足の速さと強さには
いつもながら驚いてしまう。

白い雪渓の上には、谷川岳を構成する
それぞれの岩壁から雪崩れ等によって削り取られた
岩塊が、遥か雪渓上部まで黒い点となって続いている。
それは、あたかも雪渓上に人為的に
置かれたような不思議な造形でもある。
一つ一つの岩塊を見てみると、険しい岩壁の時とは変わり、
その穏やかな表情が、一ノ倉沢で命を落したクライマー達の
一人一人の魂の様に見えてくる。

ヒョングリ滝の手前からは
左岸がスノープリッジになっているので
右岸寄りに詰めていく。
上部からは夏の太陽に暖められた岩壁の風と、
雪渓上を滑り降りる冷たい風が入り交じってそよいで来る。
一息上がった私には心地良い。
一頻りアルプスのクーロアールにいるような思いにとらわれる。
テールリッジ下部取付きは斜面に沿って青くシュルンドが開いて、
その下部を覗き見る事はできない。おそらく10〜15bはあろう。
がしかし、お誂向きに倒木が橋を架け登山者を導いてくれるから
皆、器用にバラスして渡っていく。

ここからテールリッジで2〜3級の登攀が入ってくる。
途中、先行していたH山岳会をパスするが、
その先で私が遅れ、結局中央稜取付きでは渾然一体となって、
女性2名を含む6人のH山岳会の中ほどを歩く事となった。
偶然にこのグループの会長が勝野氏の
知人であったたためであろうか。
なぜか私は、違和感というよりむしろ
親しみを感じて、敢えてそういう状態から
抜け出そうとは思わなかった。

中央稜取付きを左手に回り込むと
烏帽子沢奥壁が開けてくる。
私達が烏帽子沢を眼前にした時には既に
勝野氏は凹状岩壁下部に達していた。
中央稜取付きから凹状岩壁下部、中央カンテ下部、
変形チムニー下部までの烏帽子沢スラブの
トラバースは落石が頻繁である。
特に各ルートに先行する登攀者がいる場合は
格段の注意力をもってここを通過しなれけばならない。
H山岳会も南稜登攀であるから、
これらの下部を抜けていかなくてはならない。

変形チムニー下部到着7時30分。
アプローチの所要時間1時間30分。
「1時間で来なくては」。と勝野氏が指摘してくれた。
私は沢山時間もあるし、ゆっくりで良いと
思うのだが、やはりそういうものではないらしい。
早速身支度を整える私の横をH山岳会の人たちが
通り抜けていく。水の染み出したスラブを次々と渡っていく。
天からはポツリ、ポツリと雨が落ち始めた。

勝野氏は、ロープを2本結び終わると私のビレーを
確認しおもむろ岩にとりついた 。
何か非常に攻撃的に次々と岩を攻略していき、
瞬く間に確保支点に着いて、「ビレー解除」の
声が掛かる。その時には既に元の勝野氏の声に
戻っていた。

1P目はホールドのしっかりしたフェイスを登る。
もっと草付があると思っていたが見当はずれであった。
比較的しっかりとした岩でルートも見つけ易い。
2P目はやはり勝野氏がリードで登り出す。
逆層になっていると事前に聞いててたが、
出だしは分かりずらいが後は、足元をしっかり
確認してゆっくり楽しい岩登りを堪能する。
たまたまではあるが私の登る時になると
ポツポツ降っていた雨が小休止する。
これは私と自然のサイクルが合っている
のだと自分勝手に納得して登攀を続ける。
3P目も勝野氏は、ドンドンという感じで
ルンゼ状を詰めていきついに変形チムニーの下部に達する。
私も後から登っていく。
「これが変形チムニーだよ」「えっこれですか」
2人の会話は短かった。

初めて目の当りにした変形チムニーは、
私が想像していたものと違い、又南稜から見える
感じとも違い。なにか異様なものに感じられる。
そして、まるで漆黒の深淵に佇み底を覗きこむような
危うい感覚を呼び起こされる。

高さは10b程度で入口の巾は3mに満たない。
壁が左右2つ割れたようであり上部は
チョックストーン状に更に割れた岩を挟んでいて
割れ目は正面から見て左に発達している。
この左の割れ目側がルートであることが
予想される。
奥行きは5b程度あり、奥にいくにしたがって
左右両側の壁は狭まり1b程になっている。

白く完全に乾燥した外部の岩と比べて、
日陰になるチムニー内は青黒くなにか不気味である。
左側は完全にジトジト濡れていて、
右側も湿っぽい。
一見して滑りやすい状況だと判る。
恐らく通年こんな状態なのであろう。
純粋な登攀対象としてはあまり良くない。
下部の快適な登攀を終えて
変形チムニーに辿り着いた初登者はどんな気持ちで
この割れ目を仰ぎ見たのだろうか。
私が生れたのは変形チムニーが初登された年の
4月で初登は5月である。
私は、何千何万光年の遥かな宇宙を越えて
地球に届く星の瞬きを眺める様な
気持ちでしばらく変形チムニーに見入っていた。

「リードしてみますか」と勝野氏の言葉に
現実に立ち返る。
私は、内面登攀のチムニーは、
まだ経験したことがなかった。
付かれたようにチムニーに入っていく。
目が慣れないで薄暗い空間に入っていく。
背中と足を突っ張る様にして身体をすこしづつ摺上げる。
嫌な匂いではないけれど少しカビの臭いする。
ホールドは沢山あるという事だが良く見えない。

チムニー中間部あたりで開脚しスメアする。
初登者は本当にこんな上り方をしたのだろうか?。
途中でふとそんな事を考えてしまう。
閉鎖された空間に閉じ込められた様な感覚に
襲われる。
ピンは不十分であるが墜落しても恐くないと思った。
「写真撮ります。」勝野氏に促されてかえり見る。
股間の下10mの地面が明るく光っている。
それは生命の輝きである。
我に返る。
直上した後、上部では左へ抜けるのであるが、
ここまで来て左壁に張付いてしまう。
反対側の右壁に開脚して壁の大きいスタンスに
載るのであるが股関節が開かない。
足を踏み出したり、引っ込めたりしているうちに、
左足が「ミシン」を踏みだす。
話しには聞いていたが本当にミシンを踏んでいる様に足が
震えだし、面白いように自分の足がコントロール出来ないのである。
不思議なものだ。
スタンスにも足が掛けられなくなってきた。
このまま停滞していたら本当に墜落してしまう。
意決して私は、右壁の小さ目のスタンスに再度踏込み
左側へ這う様に身体を摺り上げた。
チムニーから出てしまうとどのホールドを
使ってどのように越えたのか記憶がなくなっている。

クライミングはコンプレックスな要素ゆえ極めて意識的、
精神的な運動の範疇に属するものであるのだが、
部分的には無意識・非意識的運動の要素も含んでいるものもで
あるのだ。
であるならば後者の部分も反復運動等で訓練しなければ
ならないということになるであろう。

チムニーから這い上がるとそこは白く眩い世界であった。
プロテクションの乏しい3級程度の開いたジエードルに
フレンズを1個所セットし10m登ったが、
勝野氏の教えてくれた上の支点が見つからず、
チムニー頂上の確保支点にて4P目は終了した。

5P目は正面ルンゼのトラバース。
ここから中央カンテに合流する。
2ヶ月程前の6月に中央カンテの登攀を
試みたが、天候と先行パーティの事故で
3Pで中退した。

季節がらイチゲとキンショウバイが
彼方此方の小さな岩棚に咲き誇っていた。
花々を縫う様な登攀はそれだけで
心がほっとして楽しいものである。
しかし、3Pの確保支点に着いたところでで、
上から転がりながら先行パーティが懸垂下降してきた。
浮き石を抱いて墜落したのである。
当日は、シーズン当初ということもあり
朝から頻繁に落石が発生していた。
左足は完全に折れており歩行は殆ど不可能であった。
更に天候も小雨交じりの強風となった。
ここまでトップできたY女史の目をみると
ルートファインディングを間違えたこともあったが、
怪我人を目前にして萎えてしまっていた。
私にリードの意志を確認してくれたものの、
天候や女史の状態も含めて私自身も
重い気持ちになってしまった。
そして、なんとなくの下山したのであった。
カンテの高度感たっぷりの快適な登攀を
想像して臨んだのではあったが
登山はこのような精神的な中退もあるのだなと
テールリッジを下っていった思いがある。

6P目はルンゼから中央カンテ側稜を登る。
人工落石を起こさぬように勝野氏からアドバイスされるが
ルンゼの底部はラジオ程の石が詰まっていて気を遣う。
またカンテへの登り返しでは再び快適な
登攀が出来るもののロープがながれず苦労してしまう。

ここでビレー中に遥か下方の南稜テラスでレスキューの訓練の
ような事をしているのパーティを見つけた。H山岳会のようである。
下山して判明するのだが、H山岳会は訓練ではなく、
実際のレスキューを行っていたのである。
パーティの内の女性1名が墜落し、肋骨を骨折していた。


7P目で4帖半テラス下部の最初の垂壁をA1でもたもた
しなから右に摺り上がる。
スリングにぶら下ってから乗越す時の丁度よい
ホールドが浮石になっている。
自然の罠というか、人間に都合よく出来ていないのは
当り前ではあるが、作られたように浮石が置いてあるのは
なにか面白かった。きっと初登者もそんな思いを抱いたのでは
ないだろうか。

短くピッチを切ってその上のジエードルの左上は
同じくA1であったが勝野氏に先行してもらう。
9P目は4帖半テラスから左上の長いジエードルを
登る。若干草付が入ってくるが高度が上がって快適である。

最終ピッチにかかるとロープが重く感じるようになり
勝野氏にリードしてもらう。
傾斜の落ちた草付きの中を一頻り登りる。
草付は滑りやすくいやらしいのだが、
ロケーションとしては、乾いた岩壁を見飽きた頃で
あったので心が休まる思いである。
最後フェース状を左上するとテラスの上で勝野氏が
目を細めて迎えてくれた。ここで今回の登攀は終了した。

私は、ルートはすばらしいと名門クラッシックルート
であると思う。ただ変形チムニーだけは未だもって
よく分からない。
初登者もチムニーを巻こうと思えば出来たであろうが、
何故ルートの中にチムニーを入れたのだろうか。
ただのルートの必然だけではないように思われる。
確かに、全体を通してすばらしいルートではあるのだが、
このルートを決定的に印象付けるのは
やはりあの変形チムニーである。
初登時の1954年当時の登攀事情を考えてみると
食料は充分ではなく。
服装、装備に至っては現在のものとは
比較にならないものであったろう。
更に当時の確保技術の水準ではトップの墜落は、
ビレイヤーをも巻込む危険が充分あったし、
そういう事故も実際発生しているわけだから
登攀そのものが現在とは違う次元のもの
だったように思える。
そんな中、自己と自己実現をみつめて岩壁に張付く
初登者達の偉大さと人間的な奥行きの広さを
感じられずにはいられない。
当然私など到底、足元に及ぶはずの無い世界ではある
のだが、変形チムニーはさらにその奥にある人間の
人間性を追求する貪欲さといってもよい程の
追求心を感じぜずにはいられない。

烏帽子岩が被ってくる同基部から空中懸垂し
フィックスザイルを手繰って熊笹の中を
南稜へトラバースする。
第6ルンゼを4回の懸垂の後、南稜テラスへと着く。
烏帽子岩が頭上に小さくなって、変形チムニーも
眺める事は出来るものの、その詳細を確認するには
遠すぎる距離である。
烏帽子沢スラブを横断し中央稜の取付きから
テールリッジをゆっくり下って、雪渓に降りる。
雪渓上をつらつら下る私の頭には、
あの不思議な変形チムニーの空間感覚が
ずっと残ったままであった。

・・・・終わり。

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