「幻の大氷柱」

 「登りましたよ!」これが嶌田の一報だったがそれが何を意味するかは直ぐに解かった。
淡々と話す嶌田の話に私は20年ぶりに胸のつかえが取れたかのように喜びで胸が一杯になった。
谷川岳一の倉沢烏帽子沢奥壁に厳冬期に出現する氷柱はその気候に大きく影響され、出来たり出来なかったりすることから「幻の大氷柱」とも言われる。登山者でも冬季クライミングを志す者か、山岳写真家でもない限りこの大氷柱を目にすることはないだろう。
しかし、この大氷柱こそがアイスクライミングを志す者にとって究極の命題なのだ。
谷川岳一の倉沢という本邦を代表する岩場にあること、日本を代表するようなクライマーのアタックの歴史、登攀をなかな許さない厳しい自然環境とルート状況、これらがこのルートのステータスを最高位に高めてしまった。
昨年フランス国立登山スキー学校のジョン・クドレイ教官が来日した際にこの話をすると、高い興味を示し「シャモニ周辺ではグランドジョラス北壁がそれに匹敵するでしょう。」と日本人のチャレンジ精神を褒め称えてくれた。がジョラス北壁と違い氷柱ルートでは支点が残るわけではなく、翌年には全く新しい大氷柱が出現してクライマーはそれと対峙しなくてはならなくなる。つまり登攀が何回繰り返されても難易度が下がることはない、といったやっかいなルートでもある。

故森田勝氏によって大氷柱は登攀対象にされはじめた。

1960年頃に故森田勝氏によって大氷柱は登攀対象にされはじめた。それから約20年後の1982年1月私はJCCの菊地敏之と大氷柱の登攀に成功した。森田氏に遠慮したわけではないが氏がジョラス北壁で遭難死した二年後である。
そして今年1月、再登されぬまま20年の月日が経っていた。
日本クライマースクラブの嶌田聡(40歳)、石川友康(33歳)パーティによって烏帽子大氷柱がこの2月9日〜10日に再登された。ワンビバーク・ワンプッシュでほぼ氷柱をダイレクトに登っている。一回も岩に触れることなく氷柱が登れたようである。
嶌田、石川とも冬季登攀を得意とするアルパインクライマーだ。
嶌田のクライマーとして特筆すべき点はものに動じない精神力の強さだろう。昨冬は石川とのパーティで幽の沢中央壁のG登攀クラブルートを冬季初登攀、等毎年のように冬季の初登攀を記録している。
石川も同様に鹿島槍北壁氷のリボンの単独登攀、マッキンレー南壁、三スラ単独、二の沢右壁単独、等と極めて高難度なルートの登攀歴をもつ。しかし、彼らにも順風な大氷柱のアタック歴ばかりだったわけではない。昨年末には大氷柱をアタックしようとして、石川がちり雪崩により変形チムニールート取り付き地点から本谷まで300Mほど飛ばされるとうアクシデントも経験しているのだ。
嶌田パーティの再から一週間後に東京YCCパーティによって第三登が記録された。ワンデイ・ワンプッシュという最も理想的なスタイルでこの大氷柱は完登された。思わず拍手したい。

ようやくアルパインスタイルの範疇に入るルートに・・

ようやくアルパインスタイルの範疇に入るルートになったと思う次第である。言い換えれば、アイスクライミング技術がようやく大氷柱の登攀を可能にするレベルに達したと言える。約20年の空白期間は単なる空白期間ではない、その間に道具の改良があり、クライミング技術もダブルアックスからドライツーリングへと高まってきている。こんな背景があってこそ今回の再登が有ったのだと考える。異論はあろうが現実は厳しく、なによりも20年という空白期間がこれらのことを物語っている。今後このルートが頻繁にトレースされることは疑いの余地がない。
それでは次の課題は何だろうかと言った質問を最近受けるが、人間の欲望は止まるところを知らないし道具の改良も進むだろう。多くのクライマーの多くの発想と多くの課題が生れることを私も期待する。
20年の歳月は私をも熟年クライマーにしてしまったが、今後もアルピニズムの精神を情熱的に継承していきたいと考える。
最後に再登を果たした2パーティには敬意を表して「おめでとう」と申し上げます。


平成14年2月21日
日本クライマースクラブ会員
(社)日本アルパインガイド協会会員
勝野惇司

過去ログメニューへ戻る
Copyright Katsuno Alpine Guide Office All Rights Reserved.