訃報の知らせ 。

7月30日夕刻、岡山に在住の秦浩一君の奥様から電話があった。
「シャモニのスネルスポーツの電話番号を教えていただけませんか」とのことであった。なにかあるのだろうとは思ったが、一旦電話を切って番号を調べて5分後に折り返し電話してあげた。
「どうしたの?」と聞くと「主人が鳥取へ出張中なんですが、前に主人と一緒に登っていた鈴木謙造さんがミディ北壁で死亡したっていう話があるらしいんで調べたいんです。」とのことであった。
「わかった、俺が調べてみましょう。」ということで電話を切った。
シャモニのスネルスポーツへ電話すると、丁度昼時で午後に電話して欲しいとのことで神田泰夫氏には繋がらない。それではと斎藤和英氏へ電話すると氏はシャモニには居らず、地中海へバカンス中であったがどうにか電話が繋がった。「鈴木謙造の事故の情報しらない?」と聞いてみた。
「うん、一週間くらい前だったかな、ミディのフレンド稜で死亡した。」
「2〜3日前に家族がシャモニへ入ってきたらしい。家族の意向で名前を伏せてほしいとの事だった。」という情報が得られた。
しばらくすると出張中の鳥取から秦君が電話してきた。解かったことだけ伝えたが、死亡は動かしがたい事実ではあった。もう少し調べてみるから明日電話をくれ、と切った。
翌31日、スネルスポーツへ電話するが神田泰夫氏は休みを取っているとのこと。神田泰夫氏の昼時をねらって自宅に電話するとようやくつかまった。
「鈴木謙造君の事故の情報をおしえてくれない?」と尋ねると、答えてくれた。
「7月25日、フレンド稜で150M転落して死亡した。」
「きのう荼毘に付して、今日午後のエアフラで日本に戻る予定、今ごろジュネーブの領事館じゃないかな」とのことであった。
「勝野んとこの会員なんだろ?みんなで葬儀してやってくれ!」という。
「いや、うちの会員じゃないんだ、秦のパートナーだったんだ。」と、そんな話をしながら電話を切った。
しばらくして秦君から電話があった。事故詳細を伝えるとともに鈴木君の千葉の自宅の電話も神田氏に教えてもらったので伝える。「明日には日本に戻るだろう。」と伝えた。
「ところで、俺は鈴木謙造君に会ったことないよな?」と言うと
「ありますよ!神戸の岩、涅槃に行ったし、小川山にも一緒に行ったじゃないですか。」
「エッ?!あの体格のいいファイアーマン(消防士)になるっていってた彼か!」
思い出した。まだ10代後半の鈴木君を思い出した。

鈴木謙造君の評判

「鈴木謙造」の名前は最近よく聞いていた。ソロクライマーとしてはおそらく今、最強だろうとのことであった。JCCの会員も彼の名を聞くと異様に興奮している。そんなすごい若手クライマーが現れたんだ、くらいにしか私はあまり気にも留めていなかった。
今年の3月はじめ一の倉沢の滝沢を登るべく入山した、積雪が多すぎて危険なため出合の小屋に寝ているとJCCの嶌田君が会員と幽の沢へ向うと入ってきた。
「すずきけんぞうがソロで氷柱に行くって入ってきましたよ。」とただならぬ雰囲気で私に言うものだからビックリ。鈴木君が入ってきたことよりも、何事にもほとんど動じない嶌田君が興奮していることにビックリしてしまった。そう、嶌田君も烏帽子大氷柱の登攀をと考えていたので心穏やかではいられなかったのであろう。まして最強のアルパインクライマーの標的になってしまったのでは、「登られてしまう」と思っても仕方が無い。
狙ったルートは絶対におとすと評判であったらしい。私もそんな素晴らしいクライマーなら一度会ってみたいなと思っていたほどだった。

鈴木君の思い出

約10年ほど前、まだ就職の決まっていない鈴木謙造君と会った。今は岡山に移住してしまった秦君と私のクライミングに付いてきたのだった。千葉の柏で家も近かった秦君と鈴木謙造君は室内壁で出会ったといっていた。秦君は「ケンゾウ、ケンゾウ」と呼んで弟のように接していたのを思い出す。その当時はクライミングでは必ず秦君がリードし、フォローするのが鈴木君の役割だった。一度小川山へ行った際に帰りは高速を使わず秩父に悪路を抜けてきたことがある。後部座席の鈴木君は私の乱暴な運転に車酔いしてしまったことがある。体格がよく、とても車酔いなどしないと思われそうな彼には意外な一面であった。その後、秦君のヨーロッパでのクライミングにも一時期同行し、タキュールのスーパークーロアールなどを登っている。秦君が家庭の事情で岡山に引っ越してからは、岡山まで行って一緒にクライミングをしていたらしい。
「今年も春にケンゾウは来たかったらしいんだけど、うちのほうが引越しなんかがあって呼べなかったんですよ」との秦君の話である。どうも秦が千葉から離れても鈴木君は秦をパートナーとして求め続けた様子が伺える。それがひいてはソロクライマーの道につながっていったのかもしれない。

驚きと悲しみ。

私はこの事故が起こるまで、アルパインクライマー「鈴木謙造」があの「ケンゾウ」だとは全く気づかなかった。当時「消防士の試験を受けるんです。」と話していたが、消防士にはならなかったようである。体格はいいが物静かで迫力のある、好青年の「ケンゾウ」がアルパインクライマーに大きく成長したのにも驚いたが、夢を抱かせるようなクライマーが亡くなったことにも驚きと大きな悲しみがある。
事故はミディ北壁フレンド稜を150Mほど登った地点で起こっている。プラン・ゼギーユから氷河を歩いて取り付くが、150Mではまだ顕著な岩稜帯には入っていない地点である。標高差1000Mに及ぶ同ルートではまだほんのさわり部分でしかない。「なぜこんなところで落ちるんだ!」
昨年シャモニを訪れた際にミディ北壁の崩壊が進んでいるのに驚いた。北壁のセラックが常時崩壊してガラガラと音をたてているのだった。ペーニュ南壁を登っているさいにもそれは確認できた。できたら登らないほうがいいルートだったんだが。
お母さんが10年前の当時から大分心配していたと聞いた。
こころからお悔やみ申し上げます。

平成13年8月1日  勝野惇司


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